(short)

□チルドレン
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翌朝、沖田は副長室にいた。目の前には、仏頂面で書類に目を落とす土方。日光のせいで透けてみえる文面は、どうやら山崎が書いたものらしい。上手いとも下手ともつかないけれど読みやすい文字が、つらつらと並んでいる。


これから何を言われるかは、分かっていた。だから、沖田はだらしなく両足を投げ出した姿勢のまま、気だるげに「土方さん、俺腹減ってるんで早くしてくれませんかねェ」と言った。用件は分かってるんで、と付け足すと、土方は眉をあげて沖田を見た。沖田は心持ち口を尖らせて、不機嫌そうな顔をしてみせる。それを見てやれやれ、というように首筋をかくと、土方は書類を文机の上に放り投げた。今日はめずらしく、煙草を吸っていない。


「昨日の男は、攘夷浪士だ」


土方は、昨夜沖田が斬った男について、淡々と情報を述べていった。男は貧乏で、妻子を養うことが難しかったこと。そのため藁にもすがる思いで、金回りがいいと評判の攘夷グループに声をかけ、仲間になったこと。しかし剣術が不得手だったため、給金は他のメンバーに比べて随分少なかったこと。相変わらず生活は苦しかったこと。


「そんな時に、一人でふらふら散歩してるてめえを見たんだな。沖田総悟って言やァ、真選組の斬り込み隊長。斬られた攘夷浪士は数あまた。仲間内でも恨んでる奴は多い。ってことは、てめえを斬りゃあ、褒美が出るのはもちろんのこと、仲間にも見直されて、給金の額もぐっと良くなると踏んだんだろうな。そこまで考えが至りゃ、もう常識なんかふっとんじまう。人は、でかいチャンスが目の前に転がりこんできた途端、冷静じゃいられなくなっちまうもんだ。奴もそういうこった。てめえが真選組一の剣の使い手だとか、そんなことは頭ん中からきれいさっぱり抜け落ちちまったんだろう。そんでてめえに挑み、あっさり負けちまったってところだろうな」


完全に自業自得だ、と土方は冷たく言った。


「遺体は奉行所に連絡して引き取ってもらった。おそらく、家族にも話は伝わっているだろう。あいつには、仲間が大勢いたからな」


土方は澄ました顔で皮肉を言った。沖田は抱え込んだ膝頭に顎を乗せ、退屈そうに爪でかりかりと畳を引っ掻いている。まだ新しい畳にささくれができているのを見て、土方が嫌そうに顔をしかめた気配がしたが、沖田はその行為をやめなかった。我ながら子供じみている、とは思ったが、やめられなかった。


何かしていないと、目の前の鋭い男に動揺を悟られそうで。


土方が、はあっと溜息をついた。どちらかというとわざとらしい、沖田に聞かせようとするような溜息だった。仕方無く顔をあげると、案の定、土方は険しい顔をしていた。沖田は思わず舌打ちしそうになる。それを知ってか知らずか、土方は抑揚のない静かな声で、問い質す。


「てめえ、何をそんなに気にかけてる」


舌を打つかわりに、沖田は畳にぎりりと爪を食い込ませた。土方の勘の良さには助けられることも多いが、今はその鋭さが憎い。しかしそんなことはおくびにも出さず、沖田ははて、と首を傾げてみせた。


「はあ、気にかけてるとは一体どういうことですかィ。別に俺ァなんにも気にしちゃいやせんがね。そんな風に見えやしたかィ?」


「見えたから言ってる」


「そりゃ単なる勘違いでさァ。あんたはどうせ、昨夜の男のことで俺が殊勝に心を痛めてるもんだと思ってるんでしょう。まあそりゃあ、奴が俺の命を狙った不届き物でなけりゃ、俺も悪いことしたなあってちっとは反省したりするかもしれやせんがね、残念ながら今回の件については、俺は当然のことをしたまでだと思ってるんで。あんたが言ったとおり、あの男の自業自得だと」


そこまで言って、沖田はすとんと顔から表情を消し去った。土方の目を真っ直ぐ見詰めて、言う。


「あそこで斬らなきゃ、俺が斬られてやした。戦場において、気の迷いは命取りでさァ。同情も情けも必要無ェ。斬りかかってきた時点で奴は俺の敵だし、敵の境遇なんか知りゃしねえ。そんなこといちいち気にしてたら、この商売はやってけやせんよ」


わりきってまさァ、と沖田はしっかりした口調で言った。土方はまだ納得がいかない様子だったが、沖田が腹が減ったと訴えると、渋々退室を許可した。


副長室を出て、食堂に向かう。土方の話を反芻して、沖田は小さく溜息をついた。男が死ぬ間際に流した涙のわけが、分かったような気がする。あれは、残していく妻子のことを想って流した涙だろう。申し訳ないと思ったのだろうか。自分が情けないと思ったのだろうか。悔しかったのだろうか。定かではないが、とにかく後味が悪い。沖田はちっと舌を打った。


食堂でトンカツ定食を頼み、皿の載ったトレイを持って席に座ると、同じく食堂の青いトレイを持った山崎が隣にやって来た。


「ここ、いいですか」


「だめ」


「失礼します」


山崎は、沖田のつれない返事など意に介さず、沖田の隣に腰を下ろした。おい、と沖田が怒った声をあげると、「俺、昨日気持ちよく寝てるところを叩き起こされたんですから。ちょっとくらい我儘言わせてくださいよ」と口を尖らせた。


「叩き起こしてはねえだろィ」


「物理的に叩いてなくても叩き起こすっていうんですよ、ああいうのは」


山崎は平然と返して、沖田のトンカツ定食に目をやった。黄金色に揚がったトンカツは、見る者の食欲をそそる。


「おいしそうですね」


「うん」


「一口くださいよ、昨日のお詫びとして」


「調子に乗るんじゃねえ」


「痛っ」


悲鳴をあげて、はたかれた頭を押さえる山崎をふんっと鼻で笑って、沖田は割り箸を割った。ぱきっと小気味よい音をたてて、割り箸がきれいに真っ二つになる。


「昨夜の男の話、聞きましたか」


ふいに山崎が言った。声がなんだか固い。沖田はトンカツを一口かじってから、ゆらりと山崎を見やった。


「聞いたけど。なんでィ」


「あ、いえ。ただちょっと、気になって」


山崎は沖田の視線から逃れるように、割り箸を取ってぱきりとやった。いびつに割れたその形が、彼の動揺を表している。沖田は口をもぐもぐ動かしながら、山崎の顔を眺め続ける。


しばらく無言の攻防が続いたが、先に山崎がギブアップした。観念したように割り箸をトレイの上に置いて、沖田と目を合わせる。そして、いつになく真剣な顔で、言った。


「俺は、沖田さんが、昨夜のことを気に病んでるんじゃないかと、心配してるんです」


ごっくん。口の中の物を飲み込んでから、沖田はグラスに口をつけた。カラカラとグラスの中で氷が回る。沖田はこの涼しげな音が好きだった。


「てめえも土方さんも、お節介というか考えすぎというか」


うざってえ。そう言って、沖田は口元を嘲笑の形に歪めた。


「おめえら、俺を何だと思ってるんでィ。真選組一番隊隊長だぜ。いちいち斬った人間のこと気にかけて落ち込んでるような甘ちゃんに、そんな大役が務まるわけねえだろうが。なめんのも大概にしろィ」


吐き捨てるように言って、沖田はふいとそっぽを向いた。山崎がじっとこちらを見ているのが分かる。ここであっちを向いてしまったら終わりだ。山崎は、職業柄、気付けば人間観察をしているような優秀な監察である。少しでも気を抜けば最後、あえて言葉にはしない胸の内まで、簡単に見透かされてしまう。それだけは勘弁願いたい。


山崎は、諦めたようだった。自分の横顔からすっと視線が外れたのを感じて、沖田はほっとする。トンカツはあと一切れだ。


ふいに、山崎が言った。


「沖田さんって、しっかりしてますよね」


「…お前、一回病院行った方がいいよ」


沖田は哀れむような目で山崎を見つめつつ、言った。山崎は顔を引き攣らせる。


「え、それは、てめえを病院送りにしてやるぜ的な意味ですか?」


「ちげえよ」


沖田は即答する。山崎も元より冗談で言ったことなのか、そうですよね、とあっさり頷いた。


「え、でも俺、別に頭おかしいって思われるようなこと言ってませんよ。沖田さんがしっかりした人だってことは事実ですし」


「事実じゃねえだろ。俺のどこがしっかりしてんの。見回りサボるし、勤務中堂々と昼寝するし。これのどこがしっかりしてるんですか?教えてください山崎さん」


なぜ敬語?と若干威圧感を感じつつ、山崎は弁解するように言う。


「そりゃ、ちょっとだらしないなあって思うことは多々…いえ、ごくたまにありますけどね、でも、仕事してる沖田さん見てると、やっぱりしっかりしてるなあって、これみんな言ってることですよ。真選組の中で一番年下なのに、一番強いし、危険な仕事バンバン出てるし、甘えたりとかもないし。それに、大人びてますしね。なんか、そういえば沖田さんってまだ18歳なんだなあ、って思う事、結構あるんですよ。あ、老けてるとかいう意味じゃなくてですね。俺がいつの間にか忘れちゃってるんです」


「ふーん。忘れっぽいのな」


沖田はそう一蹴して、最後のトンカツを頬張った。そのあっさりした態度に、山崎は諦めたように肩を落として、そして微笑んだ。どちらかというと、苦笑気味に。それでいて、少し愉しげに。


沖田の静かな横顔からは、何も読み取れない。沖田が昨夜の男のことを知って、少なからず罪悪感を感じていることは、ほぼ決定的といっていいだろう、と山崎は考えている。真選組隊士としては正しいことをした、と思っている。しかし、一人の人間としての沖田総悟は、きっと何か苦い物を感じている。プライドが高く、弱みを他人に見せたりしないから、口に出して言いはしないけれど。ちょっと頑張りすぎてるんじゃないかな、と思う。


しかし、自分がいくら言ったって、沖田は聞く耳を持たないだろうな、というのも分かっていた。そこまで頑張らなくてもいいんじゃないかな、と思うのだけど。俺達大人に、少しは頼ってくれてもいいんじゃないかな、とも思うのだけど。


ふと見下ろした、天ぷらうどんのどんぶり。あ、と思った時にはすでに遅く、黄金色の出汁の中で、天ぷらはすっかりふやけていた。麺もぶくぶくに太って、すでにコシというものは無いだろうと容易に想像がつく。あーあ、と項垂れる山崎を横目で見やって、ふんっと嘲るように沖田は鼻で笑った。いつもの沖田。小憎たらしい、生意気な、それでいて正義感の強い、憎めない子供。そんな沖田の、こうした小馬鹿にした態度を、大人である山崎は、ぐっと堪える。きっとこんな日々がこれからも続くんだろうな、と思いながら。沖田が30過ぎのオッサンになっても、ずっと、ずっと、続くんだろうな、と思いながら。続けばいいな、と思いながら。







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