(short)

□チルドレン
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一気に体温が上昇し、心臓が早鐘のように打ち始める。どくん、どくん。胸が苦しい。息がうまくできない。知らず知らずのうちに、ぎゅうっと拳を握りしめていた。爪が掌に食い込んで、痛い。


「おい、総悟?どうした?」


近藤が心配そうに沖田の顔をのぞきこみ、そして沖田の視線を追う。沖田は慌てて、近藤の襟首をひっつかみ、自分の方へ向き直らせた。


「な、何だよぅ」


近藤は困惑気味に沖田を睨んだが、沖田はそれどころではなかった。何も言わずに上着とベストを脱ぎ、近藤に半ば押し付けるようにして手渡すと、「これ、持っててくだせェ!すぐ戻りやす!」と言い置き、駆けだした。近藤の制止の声が聞こえたが、無視して人混みの中に飛び込む。


俺は、あの子供に会って、どうするつもりだ?


そんな疑問が頭に浮かんだ。今、自分は少年目指して駆けている。人混みをかきわけながら、必死に。しかし、少年の前に姿を現わしてからのプランは、何も無い。


そもそも、親を斬った張本人が、その子供の前に姿を現わしていいのか?非常識なのではないか?冷静な自分がそう主張する。自分は今、相当残酷なことをしようとしているのかもしれない。心が揺れる。足が止まりそうになる。


しかし、沖田は足を止めなかった。近くにいた男の頭から編み笠を奪い取り、被る。非難の声から逃げるように、人混みの中をするりするりと進んで行く。おい、返せよ!と怒鳴る声は、あっという間に喧騒の中へ溶け込んだ。沖田は笠を目深に被り、少年との距離を詰めて行く。


俺は、感情に流されるような馬鹿だ。大馬鹿だ。思慮が浅くて、短絡的な人間だ。心の中で近藤に、土方に謝罪する。


土方の言葉が脳裏に蘇った。


『人は、でかいチャンスが目の前に転がりこんできた途端、冷静じゃいられなくなっちまうもんだ』


まさに沖田は今、冷静さを失っていた。衝動に任せて、少年向かって突き進んでいる。冷静であれば、こんなことはしない。それだけの常識は、沖田にもある。


俺は今この状況を、チャンスだと思っているんだろうか、と沖田は自問自答した。思っているのかもしれない。このささいな罪悪感を拭い去るための、チャンスだと。全くもって自分本位で、勝手極まりない。しかし大体が、人間は自分本位で、勝手なのだ。そう自分を納得させて、沖田はぐっと顎を引いた。なんだっていい。俺は今、冷静じゃない。


少年の前で立ち止まった。店先に並んでいる和菓子を眺めていた少年は、沖田を見上げて、不審そうに眉をひそめた。思えば、洋服に編み笠というのは、かなり異様で滑稽な格好だ。怪しまれても当然だった。


「なんだよ、あんた」


少年はぶっきらぼうに言って、沖田を睨んだ。まだ声変わりをしていない、高い、子供の声。しかしその声には、はっきりと不信感と敵意が滲んでいて、沖田は少し怯んだ。それを押し隠すように、「何でもいいだろィ」と平坦な声で返す。


「何でもよくねえよ。怪しい奴だな。警察呼ぶぞ」


俺が警察だよ、と言いそうになって、慌てて言葉を呑み込んだ。真選組だとバレないように、ジャケットとベストを脱いだのに。危ない危ない、と額の汗を拭う沖田の腰を見て、少年が顔を強張らせた。


「……刀」


「あ?………あ」


沖田の腰には刀がささったままだった。さあっと顔から血の気が引くのが自分でも分かった。


「こ、これは……レプリカだよ、レプリカ」


「れぷりか?」


「複製。そっくりに作った、偽物。ほんとの刀じゃねえ」


少年は納得したのか、ふーん、と気の抜けた声を出して、「ただのオタクかよ」と吐き捨てるように言った。しかしその声には、先程までの力強さはなく、沖田は違和感を感じて首を傾げた。


「なに?」


「なにって、なにが」


「なんか、泣きそうだ」


少年に指を向けてそう言うと、少年はかっと頬を赤らめて言い返そうと口を開き、しかし言葉が出てこないのか、唇をかんで俯いてしまう。沖田は少年から顔が見えないように編み笠を調整しながら、そんな少年の様子を眺めている。握りしめられた小さな手の関節が、白くなっているのを見て、沖田は少し焦った。本当に泣かれてしまったら、困る。


しかし沖田の心配は杞憂に終わった。少年ははあっと大きな溜息をついて、ごしごしと目元を擦り、顔を上げた。ほんのり目が赤くなっている。しかし、泣いてはいなかった。プライドの高そうな子供だな、と沖田はぼんやり思う。


「今朝、腰に刀さしたオッサンが、家に来たんだ」


少年が突然話し始めたので、沖田は少し面食らった。とっさに「ああ、そう」と当たり障りのない相槌をうつ。


「父ちゃんの仲間だって言ってた。なんか、怖そうなオッサン。背が高くて、髭面の」


不貞腐れたように少年は言葉を紡いだ後、細い顎を俯けて、


「父ちゃんが、死んだんだってさ」

と呟いた。くらり、目眩を感じて、沖田はぎ
ゅっと目を瞑る。


「誰かに斬られて死んだって。たぶん、真選組だって」


「それ聞いて、母ちゃん寝込んじまってさ」


「だから俺、母ちゃんの代わりに夕飯の買出しに来てんだ」


少年は畳みかけるように喋った。泣きそうになるのを堪えるように、気を紛らわすように、ぶっきらぼうに、早口に。その必死な様子がいじらしくて、痛ましくて、沖田はいよいよ本格的に胸の痛みを感じ始めた。眉間に皺を寄せて、奥歯をぎりりと噛みしめる。少年はそんな沖田の様子に気付く様子はなく、暗い声で続ける。


「で、母ちゃん甘いもん好きだから、和菓子買って帰ろうと思ったんだけど、和菓子って高ェのな。全然手が届かねえや」


少年は恨めしそうに、店頭に並んだ和菓子の箱を眺めた。淡い桃色や、爽やかな竹色の包装紙が整然と並んでいるさまは、いかにも高級な匂いがする。沖田は何気なく、手近にある菓子の箱を取り上げた。少年がそれを視線で追う。沖田は箱をひっくり返したりして眺めた後、少年と目を合わせた。


「これ、買ってやろうか」


「え」


少年は目を見開いて、怯えるような顔をした。どうやら勘違いさせてしまったらしい。沖田は慌てて「違う、そういうんじゃねえんだ」と弁解した。


「俺はそういう、悪い奴じゃなくて。誤解しねえでくれ。別にあとで家に押し掛けたりしねえし、金請求したりもしねえ。これはただ、そう…お、お近づきのしるし?みたいな?」


言えば言う程自分が怪しい人間のように思えて来て、沖田は焦る。少年は訝しげに沖田を見上げていたが、沖田の狼狽ぶりを見てぷっと噴き出した。


「いいよ、別に気ィ遣ってくれなくて」


「俺は別に、気ィ遣ってるわけじゃあ…」


「同情すんなって。俺実はさ、貯金があんだ」


少年は、とびっきりの秘密を口にするかのように声をひそめて、真面目な顔で言う。


「お年玉とか、ばあちゃんにもらったお小遣いとか、ちょっとずつだけど貯めててさ。自慢じゃねえけど結構たまってんだ。だからそれで、買う」


少年はにかっと笑った。


「その方がさ、母ちゃんも喜ぶだろ」


沖田は言葉が見つからず、しばらく黙っていたが、やがて静かに溜息をつき、「ああ、そうだな」と掠れた声で言った。少年の言う、結構たまったお小遣いの額など、たかがしれている。こんな高級な店の和菓子など買ったら、あっという間に底をついてしまうだろう。しかし、少年の気持ちを無下にはしたくなくて、沖田は言葉を呑み込んだ。そっと手を伸ばし、少年の無造作にはねた、茶色みがかった髪の毛をかきまわす。少年はなんだよやめろよ子供扱いすんじゃねえよと騒ぎながらも、その手を振り払ったりはしなかった。


「何言ってんでィ。子供だろィ、まだ」


「そういうあんたも子供じゃん、まだ」


「ばか、もう18でィ」


「18はまだ子供だって」


はは、と少年が笑う。早く大人になりたいのかよ?という無邪気な問いかけに、沖田はなりてえよ、と即答する。少年はえー、と不満そうな声をあげた後、笑って言った。


「どうせさ、生きてりゃ何もしなくても、そのうち大人になんだからさあ。子供でいられるうちに、楽しんどこうぜ、子供をさ」


なっ!同意を求める声とともに、沖田の腕をぱしぱし叩くと、少年はじゃあな!と手を振って、駆けて行った。昨夜父を亡くした子供とは思えないほどの、明るい笑顔に、声だった。きっとあれも強がってんだろうな、と少年の後姿を眺めながら思う。


「強い子供だった」


すげえ、と一人呟き、手元の菓子箱を棚に戻すと、沖田はくるりと踵を返した。近藤の姿が遠くに見える。どうやら沖田を追ってはこなかったようだ。


沖田はそちらへ向かってのんびりと歩きだしながら、ふう、と息を吐いた。一仕事終えた、という達成感ではなく、ただ純粋に疲れからくる溜息だった。


まあ、俺はやるべきことをやったんだよなあ。さんさん輝く太陽を見上げながら、ぼんやり思う。


俺は真選組の隊士としてやらなきゃならねえことをやったわけだし、あいつだって家族守るために慣れねえことやったわけだし。どっちも正しいことやって、そんで俺の方が勝ったんだ。どっちが悪いとか、そういうんじゃねえんだよなあ。


ただ、心は痛むけれど。


少年の、あの笑顔。無理をしているくせに、そんなことを微塵も感じさせない、無邪気であどけない、笑顔。沖田には、眩しすぎた。


「難しいなあ、色々」


空に向かって言う。


「でも俺、結構頑張ってると思うよ」


気だるげにそうぼやくと、沖田は頭から編み笠をとり、頭上高くで振った。それに気付いた近藤が、あ、と口を開けて近寄って来る。そんな様子を眺めながら、ぼんやりと。


ずっと子供のままでいられたら、どんなに楽だろうなあ。


決してかなわぬこととは思いながらも、そう思わずにはいられなかった。馬鹿らしい考えを咎めるかのように、初夏の太陽が、じりり、沖田の頭を焼く。ちぇっ、と舌打ちをして、やりきれない思いを爪先に乗せ、足下の小石を蹴りあげた。小さな小石は白く光りながら、青空へ吸い込まれるように、飛んでいく。














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たぶん今まで書いた中で一番長いお話だと思います。

今まで何度も書きたい書きたいと思ってて、なんとなくそれっぽいお話を書きつつも、いまいち書きたいことがはっきりしっかり書けなくて、モヤモヤしていたのですが、今回ようやく書けた気がします。

沖田って、一見冷めてるように見えて、結構感情的だし、なんとなく危うい感じもあって。

仕事として攘夷志士斬ってるけど、ある日ふと斬った人間の辛い境遇知った時、沖田はそれを簡単には無視できないかもなあ、とか。

当たり前のことした!と思いながらも、ちょっと後味悪いなあ、って思ったりもするかなあ、とか。

沖田って正義感強い、優しい子ですからね!

一人の人間としての沖田は、そういうのあってもいいんじゃないかな、って思って書きました。

だからって攘夷志士見逃したりはしませんけどね!

そういう覚悟はあると思う、うん。


(2010.6.28 緋名子)
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