(short)

□黄色いビー玉
2ページ/4ページ

次の日の午後、俺と山崎は、ラムネ片手に、私服で住宅街を歩いていた。山崎は元から非番で、俺は有給をとった。そして現在、「どうせ屯所に飾るのなら、野生のでっかい向日葵を飾りたい」と俺と山崎の意見が一致したため、向日葵が咲いていそうな場所を求めて、ふらふら彷徨っている。


家の塀から、のうぜんかつらが零れるように咲き乱れているのを見て、山崎がわあ、と感嘆の声を上げる。それを横目で見つつ、俺はラムネの瓶に口をつけた。からん、ビー玉が転がる音に心が躍る。冷たい液体が、しゅわしゅわ音をたてながら喉をくだっていく。まるで焼けつくような、痛みに似た、それでいて心地よい感触に、くうと喉から声が出る。それを聞いた山崎が、「おっさんみたいですね」と苦笑する。


向日葵は、なかなか見つからない。


「そういやあ俺、こっちに来てから野生の向日葵とか見てねえわ」


俺が言うと、山崎は眉間に皺を寄せて、たしかに、と頷いた。


「たしかにあんまり見ませんよね、野生の向日葵って」


だがそこで、あ、と何かひらめいたような声を発すると、ぐるりとこちらに顔を向けて、


「そういえば、この近くに、ひまわり公園っていう公園ありますよね」


「ああ、うん。すぐそこじゃん」


「ひまわりって名前についてるってことは、あるんじゃないですか、向日葵」


「……安易すぎねえか、考えが」


でも悪くなさそうだ。俺が言うや否や、山崎はだっと駆けだした。地面の上で、青緑の光が跳ねる。その光に誘われるように、俺も後を追った。


ひまわり公園には、あっという間に到着した。


中央にある噴水が、日光を浴びてきらきら光っている。その周りでは帽子を被った子供達が遊んでいて、母親達は少し離れた木陰の下のベンチから、その様子を見守っていた。茶色い錆をあちこちにくっつけた遊具達は、太陽にじりじりと焼かれながら、辛抱強く立っている。鉄が纏う熱を恐れてか、遊具の周りに子供の姿は無かった。


そして、俺達の目当てのあの黄色い花も、無かった。


しばらく二人でその場に立ち尽くし、ぼんやりと周りを眺めていたが、やがて山崎がぽつりと「ありませんね」と既に分かりきっていることを口にした。俺は黙ってラムネを飲む。それにつられてか、山崎も瓶に口をつける。気まずい沈黙。


なんだ、この絶望感は。


「おい山崎、無ェじゃんか、向日葵」


肘で小突いて責めると、山崎は眉尻を下げて、「おかしいな」と首をひねった。


「こんなの、詐欺じゃないですか」


馬鹿なことを呟く山崎は放っておいて、俺は公園の奥にある茂みを目指して歩を進めた。遅れて山崎がついてくる。茂みの前までやって来ると、ラムネを飲み干し、傍らのゴミ箱へ空き瓶を放り込んだ。


「あ、沖田さん、ちゃんと分別しなきゃ。ビー玉も取ってないし。もったいない」


うるさい小姑のような山崎の意見を「うるせえな」と一蹴し、俺は顎で目の前の茂みを示した。


「もしかしたら、こういう茂みの奥とかにあるかもしんねえよ、向日葵」


わずかな期待を込めて、青々とした茂みに踏み込んだ。いまだにぶつぶつ言いながら、山崎もついて来る。腕や頬を、小枝にがりがりと引っ掻かれる。手で顔をかばいながら、密集した木々の間へ体を押し込んで行く。中途半端な痛みが、夏の暑さも相まって、非常に俺を苛々させた。


奥へ進んで行くと、木々をかきわけるがさごそという音に混じって、人の声が聞こえてきた。動きを止めて、山崎に合図を送る。山崎は初めきょとんとした顔をしていたが、すぐに声を聞きつけて、はっとした顔をした。


「あん?いい加減にしろよてめえ。持ってんだろーが。さっさと出せや」


「だから…もう持ってないんだってば」


「嘘つくんじゃねえよ。俺達知ってんだぜ。てめえ今日小遣い日だろ」


ぎゃはははは、と下品な笑い声が上がり、俺は不快感に眉根を寄せる。どうやら俺達は、偶然かつあげの現場に遭遇してしまったらしい。金をせびられているのは、例に漏れず気弱な少年のようだ。消え入りそうな声が、「持ってない」と遠慮がちに繰り返している。それを囲む少年は三人ほどだろうか。声からは、引き下がる様子は感じられない。


俺は慎重に茂みの中を進み、少年達の姿が見える辺りで止まった。予想通り、体格のいい三人の少年がこちらに背を向け、木を半円に囲むようにして立っていた。おそらく、木を背にして、ターゲットの少年が立っているのだろう。少年達は、俺達がいることにまだ気づいていないようだ。


金色の髪をつんつん立たせた少年が、中央に向かって拳で小突くような仕草をした。痛い、と泣きそうな声が上がる。ぎゃはは、と耳障りな笑い声が鼓膜を震わせた。それを聞いた瞬間、俺は茂みを飛び出していた。沖田さん、と背後で声が上がる。それに構わず地面を蹴ると、俺はびっくりした顔でこちらを振り向く集団に突進し、右端にいた金髪の少年の顔面を、グーで思いっきり殴りつけた。


俺の拳は、少年のつんと尖った鼻に真っ直ぐ命中した。少年は声もなくのけぞり、派手に地面に転がった。背中を丸め、呻き声をあげながら鼻を押さえている。指輪だらけの白い指の間から、鮮やかな赤が漏れていた。


鼻にそばかすが散った、愛嬌のある顔立ちをした少年が、悲痛な声で金髪の名前らしき単語を叫び、駆け寄って行く。声が裏返っていたため、金髪の名前は聞き取れなかった。


俺はそばかすの後ろ姿を、じんじん痛む右手を振りながら冷めた思いで眺める。もう一人の、漆黒の髪をひっつめにした眼光の鋭い少年は、眼鏡をかけたいじめられっ子の前に立ちふさがるようにして、ぐっと俺を睨みつけている。俺は構わず黒髪を押しのけて、眼鏡君の腕を引いた。


「おら、早く逃げろ」


「おいてめえ、何勝手なことしてんだよ」


案の定、黒髪が眼鏡君のもう片方の腕を掴み、引っ張った。俺は強い力で眼鏡君を引き寄せ、黒髪の手を振りほどく。そして、眼鏡君の両肩に両手を置いて目を合わせ、もう一度「逃げろ」と短く言った。


「で、でも……」


俺と黒髪の顔を交互に見ながら戸惑った声をあげる眼鏡君の背中を、いつの間にかそばに来ていた山崎が、ぽんぽんと叩いた。


「あとは俺達に任せて、早く逃げなよ」


にこっと人の良さそうな笑みで言われて、目を瞬かせた眼鏡君は、ようやくぺこりと頭を下げ、駆けだした。黒髪が捕らえようと腕を伸ばすが、山崎が素早く、伸ばされたその手を打った。その間に、眼鏡君の小さな体は、あっという間に茂みの中へ消えてゆく。その背中を見送ってから、少年達に向き直った。


そばかすが、金髪に肩を貸して立ちあがらせ、おどおどとこちらを窺っている。俺がにやっと笑いかけてやると、顔を一層青ざめさせて、後ずさった。沖田さん、と山崎が呆れた声をあげる。黒髪は俺と山崎を頭の先から足の先までじろじろ眺めて、難しい顔をしている。俺達の力量でも推し量っているのだろうか。ただ一人、金髪だけが、どこかのんびりとした風情で、血の滴る鼻を着物の袖で拭っていた。


「いってえ…鼻血やべえんだけど」


血まみれの袖を眺めながら、金髪が嘆いた。肩を貸しているそばかすが、大丈夫?と金髪の顔をのぞきこむ。金髪はへらへら笑いながら、「こんぐらいどうってことないって」と手を振った。


「つーかこの兄ちゃん、可愛い顔して超強いぜ」


金髪が俺の顔を指差して言う。俺は「指を差すんじゃねえよ」と不快感を露わにする。


「てめえら、かつあげなんかしやがって、最低だぞ。もしかして、こういうのがかっこいいと思ってんのか?ちょっと悪そうな感じに憧れてこういうことしてんだったら、今すぐやめやがれ。見苦しいから」


俺の言葉に、金髪はへらへら笑うばかりだ。まさに、暖簾に腕押し。全く手応えがない。金髪は、再び垂れてきた血を乱暴に拭って、「別に不良に憧れてるわけじゃねえよ」と吐き捨てた。


「つーか、あんたこそ、正義のヒーロー気取ってんじゃねえよ。そういうの、かっこいいと思ってんの?言っとくけど、今時そんなの流行んねえよ。逆にカッコ悪いって」


ぎゃはは、と金髪が大口を開けて笑う。まるで鳥の鳴き声のような、耳障りなその声に、自分の眉間に皺が寄るのが分かった。傍らでげんなりした顔をしている山崎の袖を引いて、囁く。


「やっちまえ、こいつら」


「え!?」


山崎はのけぞって、顔を歪める。


「一般人相手にいいんですかね?」


「いいんだよ。悪は滅するべきだ」


「でも、彼ら完全に俺より年下ですよ。こういうのって、ずるくないですか?」


俺は山崎の背中をばしっと叩く。


「何甘ェこと言ってんでィ。ずるいとかずるくないとか、そういうのはまともな人間と接する時にだけ気にしときゃいいんだよ。こんな不良君達には、そんなん気にしてやる必要無ェ。思い知らせてやんな、世間の厳しさってやつを」


山崎はまだぶつくさ言っていたが、俺が背中にキックをお見舞いしてやると、ラムネの瓶を俺に託し、渋々前に出た。そばかすが、おろおろしながら、縋るような目で黒髪を見ている。その隣で金髪がひゅうっと軽薄な口笛を吹き鳴らし、そばかすの髪をぐしゃりとかきまぜた。


「よし、お前行け」


「え、ええっ!?」


そばかすがヒステリックな声をあげ、信じられない、というような目で金髪を見つめた。


「正気かお前ッ!?」


「冗談に決まってんだろ、ばーか」


金髪はへらりと笑ってそばかすの背中をばしばし叩くと、肩からそばかすの腕を押しやって、前に出た。おい、と制止の声をあげる黒髪を手で制して、後ろに下がるよう促す。黒髪は不本意そうだったが、舌打ちをして、渋々そばかすの隣まで下がった。どうやら金髪がリーダーらしい。


金髪は血まみれの袖で鼻を拭い、どーんと仁王立ちになると、山崎の鼻先に指をつきつけ、「てめえなんか、10秒ありゃあ十分だ!」と宣戦布告した。はあ、と山崎は困惑した声をあげて、俺を振り返る。


「本当にやるんですか?」


「おう」

「……さすがに、流血沙汰はまずいですよねえ」


「関係無ェ。もうすでに流血してる」


金髪の鼻を指差して、言う。山崎はゆらりと金髪の顔を見やって、仕方ないな、というように肩をすくめた。


「まあ、やりすぎんなよ」


一応忠告しておく。山崎はふっと小さく息を吐いて、沖田さんじゃあるまいし、と呟いた。


金髪が雄叫びをあげて、山崎に突進した。拳をかため、ぐっと大きく右腕を引く。馬鹿な不良君は、派手な攻撃を好む。が、そんな勢いだけの無謀な攻撃、山崎に当たるはずがない。


山崎はひらりと右に跳んで、難なく攻撃をかわすと、攻撃が外れてバランスを崩した金髪の背後に回った。奴に振り返る間も与えず、手刀をきり、素早く首を打つ。金髪の目が焦点を失い、膝からがくりとくず折れた。山崎は金髪の腹に腕を回して支えると、ゆっくり地面に寝かせてやった。


おーい、背中ガラ空きなんですけど。


もちろん、その一瞬の隙を、黒髪は見逃さなかった。音も無く、静かに前に走り出ると、地面を蹴り、ふわりと跳び上がった。踏み切ったのは、左足だ。その跳躍力に、俺は思わず感嘆の息を漏らす。黒髪が大きく右足を振りかぶり、腰をひねった。山崎の右側頭部に、黒髪の右足がぶち当たる、ように見えた。が、山崎は素早く右腕で側頭部をかばい、そこに黒髪のキックを受けた。ばちん、と肉のぶつかり合う鈍い音が響く。山崎の体が地面を転がる。黒髪は着地するや否や、山崎向かって突っ込んでいった。が、すでに立ちあがり、体勢を立て直していた山崎は、繰り出された拳を受け止め、無防備にさらけだされた黒髪の腹に、右膝をめりこませた。


ぐっ、と短く呻き声をあげ、黒髪が腰を折る。しかし戦意を失っていないその目を見て、山崎は助けを求めるような顔で俺を見た。仕方なく、ラムネの瓶を倒れないよう慎重に地面に立て、黒髪の背後に歩み寄る。そして手刀をきったその時、突然黒髪の体がぐるりと反転したと思ったら、次の瞬間、奴の右足が俺の顔面に命中していた。回し蹴りだ、と思った時には、すでに俺は情けなく地面に転がっている。激痛に顔を歪め、おそるおそる鼻を触ってみると、案の定、真っ赤な血が俺の手を濡らした。く、屈辱だッ!!


再び飛んでくるキックを、なんとか脇に転がって避ける。とん、という音にはっと上向くと、黒髪の体がぐらりと傾いて倒れるところだった。黒髪は、俺のすぐ隣に倒れ込んだ。砂が舞い上がる。見事に気を失っている。山崎が、ふう、と息をついた。その右手は手刀をきっている。


「いやあ、すごいですねこの子」


右腕をさすりながら黒髪を見下ろして、山崎が苦笑した。


「あのキック、やばいですよ。あのまま頭に食らってたら、気絶で済むかどうか」


腕をまくりあげると、蹴られたところが早くも青痣になっている。うわあ、と山崎が顔を歪める。俺の顔も引き攣っているはずだ。


山崎が腕の痛みに顔をしかめつつ、黒髪を抱き上げ、金髪の隣に寝かせた。金髪の傍らでびくびくしているそばかすに、俺はまたしてもにやりと笑いかける。しかし今度は、そばかすは怯えなかった。なぜか笑いを堪えるような顔をしている。違和感を感じて首を傾げると、山崎が自分の鼻を指差しながら、「鼻血出てますよ」と笑み混じりに指摘した。慌てて拭う俺を見て、かっこ悪ィ、とそばかすが小さく笑った。






.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ