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□定員オーバー
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昨日まさにバケツをひっくり返したように降り続いていた雨は、今日になって嘘みたいに止んだ。


昨日は分厚い雲に隠れてしまっていた太陽が、休んだ分を取り戻すかのように、張り切って輝いている。


そんな太陽を、恨めしそうに見上げる男が一人。


公園のベンチに腰掛けるその男の足元では、一匹の犬が寝そべってはあはあと荒い息をしている。目の前を一匹の虫が通り過ぎて行くのを、覇気の無いまぬけ面で眺めるその犬は、太陽に向かって悪態をつく飼い主とよく似ていた。


「ったくよぉ、梅雨ぐらい休めっての。お前なんかお呼びじゃねーんだよ」


ぶつぶつと悪態を垂れ流す男…長谷川を見上げて、「そうだそうだ」と言うように鼻を鳴らす犬。長谷川の骨張った大きな手に頭を撫でられて、嬉しそうに尻尾を振る。


その愛らしい仕草に頬を緩めた長谷川は、しかし背中を焼くようにじりじりと照り付ける陽に、ちっと舌打ちして再び太陽を睨み上げた。この日差しから己を守ってくれる屋根付きの家等持っていない長谷川にとって、この初夏の太陽は宿敵だった。


サングラスをかけていたって、太陽を直視すれば当然眩しい。耐え切れなくなって俯き目を閉じる。瞼の裏でぼんやりと揺れるオレンジ色が鬱陶しい。


目を開けば、視界にちらつく黒点。サングラスを通して見える薄暗い世界で、それは一段と黒くはっきりとしている。そのくせ瞬きをするたびに現れたり消えたりを繰り返すその気まぐれさが、長谷川を苛立たせた。


再び舌打ち。見上げて来る二つの黒い瞳に、ほんの少し、尖っていた心が満たされた。


昨日の雨で少しはきれいになるかと期待していたが、その期待はあっさりと裏切られ、逆に砂埃でますます汚れた犬の毛並みを撫でつける。手の下に感じる、ごわごわとした感触。ろくな物も食べさせてやれないため、背骨が浮き上がっているその背中を、労わるように撫でてやると、犬は気持ちよさそうに目を閉じて、ゆうらゆうらと尻尾を揺らした。


もっと腹いっぱい飯食いたいよな、きれいになりたいよな、ごめんな不甲斐ない飼い主で。


じわりと目頭が熱くなり、ぼさぼさの毛並みを撫でる手が震えた。飼い主の異変を感じて、犬の瞼が持ち上がり、心配そうにくうんと鼻を鳴らす。それがますます長谷川の涙腺を緩ませ、すでに長谷川の瞳は涙の膜に覆われている。


そしてついにぽろりと雫が落ちようかという時、耳に届いた小さく弱々しい鳴き声。長谷川はぴくんと反応して、声が聞こえた背後の茂みへ顔を向けた。


今のはたしかに、犬の鳴き声だった。


















雨が上がり、辺りにたちこめる雨の匂いとひんやりと冷たい空気が清々しい。雨のために、東屋に足止めされていた長谷川は、そろりと東屋の下から顔を出して空を見上げた。


青空に架かる七色の橋。それを見た長谷川の表情が、「おお」というように明るくなった。


身体に優しく触れる雨上がりの空気は、いまだに小さな水の粒を含んでいるよう。地面のあちこちに横たわる水たまりは、ようやく顔を出した太陽の陽を受けてきらきらと輝いている。


「なんて素敵なんだ」


一人呟いて、くすっと笑う。傍から見れば相当気持ち悪いだろうが、気にしなかった。公園には自分一人。この爽やかな雨上がりの一時を独り占めしているようで、たいそう気分が良い。


本当はバイト探しに出かけようと思っていたのだが、今日はやっぱりやめることにして、長谷川は定位置であるベンチに足を向けた。


そしてそこで、聞いた。


くうん、と鼻を鳴らす、何かにすがるような声を。


長谷川は歩みを止めてぐるりと周りを見回した。そう大して広くない公園。遊具なんてブランコとシーソーと滑り台しかない。


そしてその声は、シーソーの、地面に着いている方の板の下から聞こえてくる。


そこにいるであろう生き物を驚かせないように、長谷川はそろりそろりと近づいて行く。途中に点々と横たわる水たまりも慎重に避けて。


シーソーに辿り着き、そっと蹲って板の下を覗き込むと、いた。


茶色い小さな子犬。


首輪はしていない。きっと捨て犬だろう。


長谷川が抱き上げようと手を伸ばすと、子犬は小さな舌で差し出された手を舐めた。冷たい手を舐める温かい舌に、長谷川はじいんと胸が熱くなって、冷え切った小さな体を抱き上げた。


「つめてえなあ、お前。大丈夫かよ?」


答えるはずが無いが、そう言わずにはいられなかった。一人だと思っていたが、実は二人だったという事実にちょっとした幸せを感じていた。


雨上がりの一時を独り占めしたような気分で、浮かれていた。でも。


一人で胸に秘めておくよりも、二人で共有する方が。


「素敵だ」


さっきも似たようなことを言ったと思う。腕の中で、小さな生き物は甘えるように、長谷川の胸に額を擦り付けた。














「たしかお前と出会ったときも、雨上がりだったなあ」


ベンチを降り、蹲った長谷川は、愛犬の額の毛を人差し指で掻き回しながら呟いた。犬は長谷川の指が嬉しいのか、顎を地面にぺったりとくっつけて、尻尾を振っている。


再び茂みから聞こえる、細い鳴き声。


「余裕無えんだよ……」


長谷川は辛そうに顔を歪めて、茂みに背を向けた。本当は自分が食べて行くだけで精一杯なのに、すでに抱え込んでいる一匹の犬。これ以上抱え込むわけにはいかなかった。


くうん


「聞こえない聞こえない聞こえない」


くうん


「いやいやそんな声で鳴いたって無理なもんは無理だって」


くうん


「き、聞こえない!俺はなんにも聞こえない!なーんにも聞こえないぞ!」


長谷川はきょとんと首を傾げているパートナーのリードを引っ掴んで立ち上がった。これ以上あの声を聞くと、きっと自分はまた抱え込んでしまう。


緩慢な動きで立ち上がる愛犬の動きにじれながら、ひたすら聞こえない聞こえないと呟く。しかし無意識のうちに、長谷川は耳を澄ませていた。今にも消えてしまいそうな鳴き声を聞き逃すまいと。まだあいつは鳴いているかと。


ようやく立ち上がった愛犬がくいくいとリードを引っ張ったことで我に返った長谷川は、後ろ髪を引かれる思いで一歩足を踏み出した、が。


くうん


前にも聞いたことがあるような、すがるような声。


それを聞いてしまうと、もうだめだった。


「あぁぁぁぁぁぁ、もう!」


長谷川はわしゃわしゃと髪を掻き回しながら声を限りに叫んで、ばっと踵を返した。愛犬がリードを引かれ、長谷川の傍らまで駆寄る。


ベンチの後ろの、こんもりと茂った緑の中から聞こえる声。


長谷川は諦めたように溜息をついて、その茂みをかき分けた。













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長谷川さん生誕記念。

生誕「祝い」じゃなくて、「記念」です。

「祝い」の場合、はっぴーばーすでーなお話になります。

「記念」だと、はっぴーばーすでー要素無しのお話になります。

誕生日話は難しいのです←

自分のように、ぼろぼろになって一人震えてるような奴は見捨てられない長谷川さんが書きたかったんです。

マダオじゃない長谷川さんが書けてるといいな(笑

そして今回気になったこと。

あの長谷川さんが連れてる犬、いつから飼ってるんだろう…?

もう完全なご都合主義で書いちゃったけどいいのかな…いいよね。


長谷川さん、誕生日おめでとう!



(2009.6.13 緋名子)

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