(short)
□シーラカンス
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新八に頼まれた買い物を済ませ、万事屋に向かって原チャを走らせていると、突然の雨に見舞われた。
最初は頬にぽつりぽつりと小粒が当たる程度だったものが、ものの数十秒でバケツをひっくり返したような大雨に変貌した。結野アナの天気予報では、今日は一日中快晴だったはず……まあ、結野アナ可愛いからなあ。結野アナの笑顔を見るだけで俺の心はドッピーカンです。とか言ってる場合じゃなくて。
雨足はひどくなる一方で、さっきまで人で賑わっていた通りもいつの間にか人っ子一人いなくなっている。暗雲が立ち込めた暗い空の下を一人走っているのは、なかなか精神的にクるものがある。俺はこのまま万事屋に帰るのを諦め、どこか喫茶店にでも入って雨宿りをすることにした。
幸い、喫茶店はすぐに見つかった。ショーウィンドウに飾られた苺パフェの鮮やかな赤が、ぱっと目に留まったのだ。店は、良く言えば趣がある、悪く言えば古臭い感じの、なかなか年季の入っていそうな外観だったが、この際贅沢は言っていられない。俺は店の脇に原チャを止め、軽く着物の水分を絞ってから、つるりとしたステンレスのドアノブを引いた。
頭上でカランカランとベルの音がする。冷え切った体を包むコーヒーの香りと温かな空気に、ほっと肩の力が抜けた。
店員が迎えに来そうな気配も無いので、適当に空いている席に腰を下ろして一息ついた。
ぐるりと店内を見回してみる。全体的に茶色を基調とした、落ち着いた雰囲気だ。あちこちにぶら下がっている、丸いフォルムのランプも可愛らしい。温かなオレンジ色の灯りにほんの少し癒されながら、革表紙のメニューを開いた。
まあ、普通の品ぞろえ。別段豊富なわけでもないし、かといって不満に思う程少なくも無い。ショーウィンドウでも見た苺パフェの写真もあって、ちょっと目が釘付けになった。
そこで、ふと背中に視線を感じた。びしびし突き刺さるような、強い視線だ。おそるおそる振り向くと、カウンターからマスターらしきおっさんがこちらを見ていた。
「あ、すんません、濡れたまま座っちゃって」
慌てて立ち上がって謝ると、マスターはいいえと首を振った。
「こちらこそ、お客様がいらしていたとは気付かずに…申し訳ありません」
タオルをお持ちしましょう、と言い残して、マスターは奥に引っ込んだ。俺はなんだか落ち着かない気持ちで、立ったままマスターを待つ。
…さっき、カウンターにマスターいなかったよな?奥で休憩でもしてたんだろうか。いや、それでもこっちに来る時、足音はするはずだ。それが、なぜか聞こえなかった。
つーか、俺が来たのに気付かなかったっておかしくね?俺が店に入った時、ベル鳴らなかったっけ?結構でかい音してたよ?それで気付かなかったってどういう事だよ。
振り返った時の、マスターが俺を見ていた目つき。まるで品定めするような、鋭い目つきだった。
なんか、嫌な感じがする。
窓を叩く大粒の雨。カチカチと時を刻む、ひどく無機質な時計の音。どんよりと暗い街の景色。
妙に胸騒ぎがして、俺はそわそわと足を踏み替えた。
つーかなんで誰もいねえんだよ。マダムの一人や二人くらいいてもおかしくねえじゃん、ちょうどおやつ時だしよォ。この際、うるせえ学生さん達でもいいからさあ、誰か来てくんねえかなあ。俺を一人にしないでくれ、頼むから!
その時、俺の願いが通じたのか、店の外でばしゃばしゃと足音がした。俺、この時ほど神様の存在を信じたことは無かったよ。やっぱり神様はいたんだ、不器用ながらも健気に生きるこの俺を、神様はちゃんと天から見ていてくださった………
そこで俺の思考は停止することになる。水滴のせいで視界の悪い窓越しにも判別できた、真選組の黒い隊服。口汚く悪態を吐くその声。
ドアが開いて、カランカランとベルが鳴る。そのメルヘンな音に似つかわしくない仏頂面で現われたのは、あろうことかあの胸糞悪いマヨラーだった。
「あっ、てめえ…」
俺を見るなり、土方は心底嫌そうに顔を歪めた。言い返してやりてえが、ここで下手なこと言ったらコイツ帰っちまうかもしんねえ。コイツでもいないよりはマシだ。こうなったら道連れにしてやる。
無言の俺に眉をひそめ、水滴の滴る前髪をがっとかき上げながら、土方は店内を見回した。
「店員はいねえのか」
「いるよ」
「見当たらねえが」
「タオル取りに行った」
「お客様、タオルをお持ちしました」
「うおっ」
いきなり背後で声がして、大袈裟にびくついてしまった。振り返ると、白い清潔そうなタオルを持って微笑むマスター。まただ。足音も気配も無しに、近づいてくる。
「おや、お客様、いらっしゃいませ」
マスターが俺の肩越しに土方の姿を見つけて、にこやかに言った。
「お客様もびしょ濡れですね。タオルを取ってまいりますので、少々お待ち下さい」
「ああ、どうも」
再び奥に引っ込むマスター。俺は振り返って、土方の耳元で囁いた。
「なあ、どう思う」
土方は、察してくれたようだ。マスターが消えて行った方をちらっと見やると、声を潜めて訊き返してくる。
「どう思うって、何がだ?」
「マスターだよ。何かおかしいと思わねえか?」
「……別に」
「おめっ、それでも真選組の副長かよ?よくそんなんで今までやって来れたな」
「んだとコラ」
「なんかさ、マスター、人ならぬオーラを発してるっつーか、人間の気配を感じねえっつーか」
「頭湧いてんじゃねえの」
「てめえ殺すぞ」
「お客様」
「ひっ」
またまた背後で穏やかな声。ギギギギギ、と油の足りないブリキのおもちゃのようにぎこちなく振り返る。マスターは俺の髪を見てすっと目を細めた。
「お客様、まだ髪が濡れています。そのままでは風邪をひいてしまいますよ」
潔癖症なんですか?と訊かれて、いえいえと首を振った。柔らかいタオルで髪を拭きながら、横目で土方を窺う。
土方もタオルで髪をわしゃわしゃやりながら、鋭い目つきでマスターの様子を窺っていた。完全に鬼の副長の顔だ。マスターはカウンターの向こうで、俺達に背を向けて食器を出している。土方の視線には気付いていないようだ。まあ、気付かぬフリをしてる可能性も大いにあるけど。
肘で小突いて、土方の意識をこっちに向けさせる。どうだ、と目で問うと、わずかにかぶりを振った。
「別に変な感じはしねえ。気配は薄いけど」
「気配は感じるのか」
「ちょっとだけな」
「…お前もしかして、霊感とかあるんじゃねえの」
「そんなもん無ェよ。あったらとっくにてめえを呪い殺してらァ」
「…デスヨネー」
霊感があったら人を呪い殺せるのか?と思ったが、黙っておいた。
タオルを首にかけて、カウンター席に腰を下ろす。現役バリバリの土方が気配感じるってんなら、そうなんだろう。俺だって結構人の気配には敏感な方だけど、いつもがのんびり平和な毎日だから、やっぱちょっと鈍ってるとこもあるのかもしれねえ。見上げたマスターの顔には、たしかに血の通った人間の温かみがあった。
二つ席を挟んで、土方も座った。一つじゃなくて二つってところに何か悪意を感じる。まあ、嫌ってる者同士だから、こんくらいがちょうどいいのかもしんねえけどさ。
唇を尖らせる俺の前に、トンと何かが置かれた。鮮やかな赤が目に飛び込んでくる。俺をこの店に誘った、苺パフェだった。