(short)

□チルドレン
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尾けられている。


沖田は溜息をついて、コキコキと首を鳴らした。濃紺の夜空を恨めし気に見上げる。さっきから、ずっと背後に突き刺さるような殺気を感じていた。


なんだか寝苦しくて散歩に出たのだが、少し迂闊だったかなと唇を噛む。隊服でなければ気付かれないだろうと軽く考えたのがいけなかった。真選組一番隊隊長の沖田の顔は、浪士共に十分われている。そして運の悪いことに、今宵は見事な満月。その光は容赦無しに沖田の顔を照らし出していた。派手な顔立ちであるために、いやでも人の目に止まる。しかもこんな夜更けに一人でふらふらしているのだから、それだけで目立ってしまう。やはり屯所でおとなしくしているべきだったと後悔しても、もう遅かった。


角を曲がる。ここで待ち伏せて不意打ちを食らわせてやろうかと足を止めたが、それは一瞬のことで、沖田は再び歩き始めた。この辺りには民家が多く建ち並んでいる。下手に騒ぎを起こして、善良な市民達の安眠を妨害するのは気がひけた。もうしばらく歩けば、民家もまばらになる。その一帯に住んでいる住民には申し訳ないが、その辺りでそろそろ決着をつけてしまいたい。尾行され始めてから、もうかれこれ30分は経つ。沖田もいい加減我慢の限界だった。


塀に沿って歩きながら、沖田は内心で首を捻っていた。自分を追っている気配は一つだけだ。あちこちに意識を飛ばしてみても、伏兵がいる様子は無い。沖田をどこかへ追い込もうとしている様子も無い。ただひたすらに沖田の後を追い、好機を狙っているのかと思えば、そうでもないらしい。自分の後をつけてくる気配を感じ取ってから、沖田はわざと人気の無い道を選んで歩いているのだが、それから30分間、刺客は相変わらずだらだらと尾行を続けていた。くわえてその尾行が、全くなっていない。尾行中に無防備に殺気を垂れ流すなど、愚の骨頂というもの。山崎が聞いたら激怒しそうな話だ。一体なんのつもりかと、沖田は鼻の上に皺を寄せた。単独で沖田を狙うにしては、後ろの刺客は明らかに力不足だった。そんな輩に命を狙われているとは、屈辱だった。


沖田はようやく、足を止めた。この辺りに民家は無い。少し離れたところにはあるのだろうが、そこの住民には心の中で謝っておく。ふと見ると、右足のすぐ横に、水たまりがあった。踏んだら袴に水がはねるな、と能天気なことを考えて、沖田はうげーと顔を歪める。しかし今更動くこともできず、諦めて表情を引き締めた。


後ろで、刺客も動きを止めたようだった。途端、息をするのもためらわれるような静寂が落ちる。遠くで犬が吠えた。沖田は静かに息を吐く。視線を俯ける。わずかに足を開いて、腰の刀に手を伸ばす。全神経を、背後の刺客に集中させる。じゃりっと砂を踏む音。目の端で、何かがきらりと光った。足下の水溜りが、刺客の刀が跳ね返した月の光を映したのだ。


(不用心にも程があらァ)


沖田は素早く刀を抜き、振り返りざまに相手の刀を跳ね飛ばした。キイン、と澄んだ音をたて、刺客の男の手から離れた刀が宙を舞う。男は腕を大きく上段に振りかぶったまま、何が起こったのか理解できないといった様子でぽかんと口を開けた。沖田の刀が月光にきらりと光り、我に返った男が顔を歪める。沖田を見るその目には、紛れもなく恐怖の色が浮かんでいた。それを見た途端、沖田はどうしようもなく冷めた気持ちになった。全ての感情が一斉に消え失せて行く。沖田は刀を傾けて刃を寝かせると、諸手で柄を握り、ガラ空きの男の懐に飛び込んだ。刃がすうっと吸い込まれるように男の肋骨の間へ滑り込んだ。


嗅ぎなれない他人の匂い。鼻に額に触れる、男の着物の、少しざらついた感触。


あ、と小さな声が降って来た。がくっと男の膝が折れる。沖田は素早く刀を抜き去ると、後ろに跳んだ。それを追うように男が崩れ落ちる。その背からどっと鮮血がほとばしった。


刀を振って血を払い、沖田は刃を鞘に収めた。辺りは静寂を取り戻し、しっとりと重い夜の空気が肩に伸し掛かる。沖田はふと興味に駆られ、しゃがみこんで、男の顔をのぞきこんだ。男は、怯えを顔全体に滲ませたままこと切れていた。年は30代前半というところだろうか。美形というほどではないが、鼻筋はすっと通り、目元も涼しげで、なかなか整った顔をしている。そのせいで、月光に白く照らされたその死に顔は、まるで能面のように見えた。作られたもののような無機質さを感じて、沖田はぶるりと身を震わせた。不気味だ、と思った。


その時だ。沖田の目と鼻の先で、突然、男がぐわっと目を剥いた。


「う、」


わ、という声はなんとか飲み込んだ。赤味を帯びた大きな瞳を、これ以上ないくらいにかっ開き、地面を蹴って距離をとる。懐に手を突っ込み、そこにあることを確かめるように脇差の柄をぎゅっと握りしめた。全身から冷や汗が吹き出す。心臓がドクドクとうるさい。


しばらく焦点が定まらずふらふらしていた男の視線が、ぴたりと沖田の顔の上で止まった。沖田は息をつめて、その殺気に満ちた視線を受け止め、脇差を握る手に力を込める。男の口が開いた。何かを言おうとしている、とすぐに分かった。沖田は思わず身構えたが、そこから溢れたのは、言葉ではなく、夥しい量の血液だった。ごぼりと嫌な音をたてて溢れ出す真っ赤なそれを見て、沖田は顔を引き攣らせた。男が苦しげに顔を歪める。なんでそこまでして、と沖田は泣きたい気持ちになる。


男は懲りずに口を開いたが、その唇は最早言葉を紡ぐ力すら残っていないようだった。


男に刻一刻とその時が迫っているのは明白だった。


男の薄い唇が、うっすらと開いた。沖田は敵だとか味方だとか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。無意識のうちに上半身を乗り出し、男の口元に耳を近づけた。男は自分に何かを伝えたがっている。大方、沖田には聞き慣れてしまった侮辱の言葉だろうが、男はそれを言うために、必死に死に抗っている。それならどんな言葉であれ、聞いてやらねばならないだろう、と。敵とはいえ、沖田はこの男に恨みは無い。苦しんで死んでほしいとは思わないし、どうせなら少しでも心残りのないようにしてやりたい。冷たい地面に片膝をつき、沖田は男の言葉を待った。


待った時間は、そんなに長くはなかったと思う。突然頬に、男の息が感じられなくなった。それに気付いたとたん、沖田の胸はざわりとざわめいた。ゆっくりと、地面に視線を落とす。小さく首を動かして、男を見下ろす。


男は死んでいた。その目元が光っている。確認するまでもなく、それは涙だった。


わけが分からなかった。なぜこの男は泣いている?死ぬのが怖かったのか?なら何で俺を狙った?勝てると思っていたのか?死ぬ覚悟はしてたんだろう?これじゃあまるで、俺が悪いみたいじゃねえか。一粒の滴を見つめながら、ぐるぐると思考を巡らせる。だが、頭は混乱するばかりで。


ごちゃごちゃの頭の中でふと思い至って、沖田は懐から携帯を取り出し、山崎に連絡を入れた。寝ぼけたような声で電話に出た山崎は、「今何時だと思ってんすか。勘弁してくださいよ」と文句を言ったが、沖田が「奇襲に遭ったから返り討ちにした」と告げると、途端に真面目な監察の声になって「分かりました。すぐ行きます」と応じた。場所を告げ、電話を切る。ここは屯所からそう離れていない。すぐ迎えは来るだろう。


辺りに立ち込めるねっとりと濃い血の匂いに、吐きそうになる。袖で口を覆ってゆっくり深呼吸した後、沖田は後ろに手をつき、疲れ果てた白い顔を空に晒した。力の抜けた溜息混じりの「あーあ」が、夜の闇に吸い込まれて消えた。








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