(short)

□黄色いビー玉
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目をさす太陽の光。ああ、今年も夏が来た。頬を、背中を汗が伝うのさえ、心地よい。


庭でホース片手に打ち水をしている山崎の背中を、俺は畳に頬をくっつけて寝転んだまま、眺めていた。無数の水しぶきが日光にきらめき、小さな虹を作りだしている。腕をまくった山崎の白いシャツが、目に眩しい。ああ、今年も夏が来たんだなあ。


きゅっと蛇口をひねる音。ホースを片づけた山崎が、縁側にどかっと腰を下ろしてあー、と間の抜けた声を上げる。俺は匍匐前進で山崎の傍らまでにじり寄り、お疲れ、と短く声を投げた。ありがとうございます、と山崎も短く受けて、ちらっと微笑む。


「すっかり夏って感じですね」


「んー、とうとう来たかって感じだよな」


「沖田さんって、夏好きですか?」


「まあまあ」


ころん、仰向けになる。空中に、小さな小さな水の粒子が舞っているよう。ひんやりしていて、すがすがしい。ああ、と腹の底から溜息が洩れる。


「今年もクーラー、つけないんですかね」


「どうせ金無いんじゃね、今年も」


「俺、夏は屯所が男臭くなるから嫌なんですよねえ」


「てめえも男じゃん」


「そうなんですけどお」


なんじゃそら、と笑う。山崎はあーあ、と嘆きの声を上げて、「花でも飾ったら少しはマシになるんですかねえ」と続けた。


「嫌だよ気持ち悪ィ。男所帯に花なんざ」


「でも、あまりにもむさ苦しくありませんか?隊服だってきっちりかっちりしてるし真っ黒だし。あんまりイメージ良くないと思うんですよねえ」


「俺が考案した夏バージョンの隊服があるじゃねえか」


「えー、ダサいロックンローラーみたいなアレですか?勘弁してくださいよ」


「てめ、俺の美的センスにケチつけてんじゃねえよ」


「とか言いながら、沖田さんあれ一回も着た事ないじゃないですか。自分だってダサいと思ってんでしょ」


「思ってたら悪ィかよ」


開き直った俺の発言に、山崎は肩をすくめる。


「別に、悪かないですけどね」


あー、花屋行ってこようかなあ。そう言いながら、山崎はごろんと仰向けに寝っ転がった。額にうっすらと汗が浮かんでいる。傍らに放っていた団扇で仰いでやると、山崎はなぜか怪訝そうな顔をした。


「…なんだよ」


「あ、いえ、なんか沖田さんが優しいと、怖いというか」


「なんでだよ、んじゃあ冷たくすりゃあいいのか」


ぺしっと額を叩くと、あいたっ、と悲鳴をあげて恨みがましい目を向けてくる。俺にどうしろっつーんだよ畜生。


「まあ、あれですかね、夏だからですかね」


山崎は一人勝手に納得して、うんうんと頷いている。俺はもちろんわけが分からない。だけど別に分かりたいとも思わないので、黙って団扇で山崎を仰ぐことに徹した。俺は暑さに強いので、このぐらいの暑さはどうってことないのだ。


しばらくそうやってぼんやりしていると、ふいに山崎がぽつりと言った。


「俺、明日花屋行って来ますよ」


「まだ言ってんのかそんなこと。いらねえって」


「でも、だいぶ雰囲気変わると思うんですよねえ」


のんびりした口調に、怒る気にもなれない。どうせ、こんな野郎だらけのむさ苦しい所に花なんか置いたって、気色悪さが増すだけだろう。女々しくって気持ち悪い。大体、この屯所には、花が似合う男なんざ、ほんの一握りしかいないのだ。あとの男共は、無骨でいかつい顔した奴ばかり。そんな奴らが花眺めておお、みたいな反応してるの見るのなんか、まっぴらごめんこうむる。


「向日葵とかいいかな。夏だし。派手だし」


「しつけえなあお前もよォ」


「沖田さんもどうですか、一緒に」


「はあ?何言ってんのお前。俺はやだっつってんだろィ、花なんか」


「冷たいなあ」


「優しくしたら怖いっつってたのはどこのどいつでィ」


ははは、と山崎が呑気な笑い声をあげる。俺はなんだかむしゃくしゃして、団扇で山崎の顔面をはたいた。ぴしゃりと小気味よい音がする。山崎はめんどくさそうに痛い、と呟いて、団扇を払いのけた。鼻が赤くなっている。


「じゃあいいですよ、もう俺一人で行ってきますから」


山崎はぶすっとした顔でそう吐き捨てた。そして、俺が何か言う間も与えず起き上がると、冷たい目で俺を見下ろして、「そのかわり、今度見回り一緒になったときラムネ奢るっていう約束、無しにしますから」と恐ろしい脅し文句を口にした。思わず顔が引き攣る。


ことは一週間前に遡る。その日、俺は山崎と見回りをしていた。太陽が馬鹿みてえにぎらぎら照りつけてて、さすがの俺も上着を脱ぐほどの暑さだった。隣で山崎は完全にへばっていて、情けねえなあと呆れたのを覚えている。


そんな時、通りかかった駄菓子屋の前のベンチで、子供達がラムネを飲んでいたのだ。子供達は青緑色のガラス瓶を太陽にかざして、きゃっきゃっと楽しげな笑い声をあげていた。子供達の小さな顔を海色に染め上げるその光に、俺はしばしの間目を奪われて、それは山崎も同じだったらしい。立ち止まって、子供達の顔を眺めていた。


『きれいですね』


『おう』


『沖田さん、喉渇きません?』


『ちょっと渇いた』


『ラムネ、買いましょうか』


ポケットから財布を取り出そうとした山崎を、その時の俺はなぜか「ちょい待って」と止めていた。そしてこれまたなぜか、右拳を突き出して、こんなことを言った。


『ジャンケンしよう、ジャンケン』


『は?』


山崎は怪訝な顔をした。普段の俺なら、遠慮を知らない子供のように「奢れ」というのが常だったのだから、当然だ。だが俺は右拳をぶんぶん上下に振って、


『負けた方が買うことにしようぜ』


と言い張った。山崎ははあ、といまいち得心がいっていない様子で右手を差し出し、そして俺達は駄菓子屋のまん前で、馬鹿みたいに最初はグー、とやったのだ。


結局勝ったのは山崎で、俺がラムネを奢ることになったのだが、いざ財布を取り出してみると、俺の所持金はほぼ無いに等しかった。入っていたのは十円玉が数枚と、一円玉と五円玉がちらほら。あとはくしゃくしゃになったレシートばかり。働いている人間の財布の中身とは思えないほどの、見るも無残な状況だ。それを見た山崎は、怒るでもなく呆れるでもなく、ただ


『じゃあまた今度にしましょうか』


と困ったように笑った。俺は悔しくて恥ずかしくて、『生意気言うんじゃねえ、山崎のくせに』とめちゃくちゃな発言をし、『今度てめえが奢れよ』と山崎を睨みつけた。山崎は突然の仕打ちに目を丸くしたが、やがて肩を落とすと、仕方無いなというふうに笑って『分かりました』と頷いたのだ。


俺はそれから、山崎と見回りをする日を今か今かと待ち焦がれていたのだ。あの海の底のような青色が脳裏に焼き付いて離れなくて、どうしようもなかった。


なのに!


それを無しにするってのは、どういうことだ!


「鬼!」


思わず叫んでいた。

「てめえ、ふざけんな!俺すっげえ楽しみにしてたんだぞ!」


「知ってますよ。だからこうして交換条件として提示してるんです」


山崎の平然とした態度に、二の句が継げず、俺はぐうと唸って黙り込んだ。山崎が勝ち誇った笑みを浮かべるのを見て、はっ倒したいほど腹が立ったが、ラムネのためになんとか耐えて、俺は渋々頷いた。わーったよ、と腹の底から響くような低い声で吐き捨てる。それを聞いた山崎は、にっこり笑って頷いた。


「分かりました。じゃあ明日、向日葵買いに行きましょう」


「おう」


山崎の思い通りに事が運んでしまったのは悔しいが、ラムネを手に入れられることへの期待と喜びに比べたら、そんな感情はちっぽけなものだ。あの海色の光の魅力といったら、それはそれは強烈だったのだから。


再び満足そうに寝っ転がった山崎を、機嫌取りも兼ねて団扇で仰いでやりながら、期待に胸が高鳴った。







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