(short)
□スパイラル
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「俺は、このままでいいんですかね」
「は?」
予想通りの反応を、沖田さんは返してくれました。まるで浮浪者を見るような、警戒心と哀れみの滲んだ目で、見てくる。その手には、緑茶の入った湯呑み。休憩時間を邪魔されて、沖田さんは至極不愉快そうだった。
「最近俺、よく考えるんですよね。俺このままでいいのかなあ?って」
「もっと有意義なこと考えれば」
「有意義じゃないですか」
「どこが。馬鹿なのお前、うざっ」
「ちょっとぉ!言いすぎでしょそれは!」
指を突きつけて声を荒げたけれど、うっさいうっさい、と手であしらわれてしまった。次いで、指差すな、と睨まれる。指を折られそうな雰囲気だったので、おとなしく従ったが、決して屈したわけじゃないぞ。その証拠に、俺は居住まいを正して、もう一度、同じ質問をぶつけた。
「ねえ沖田さん、どう思いますか。俺、このままでいいんですかね」
「知らねえよ」
「地味が代名詞のこの俺に、明るい未来はありますか」
「だから知らねえって。なんなんでィ急に。まじきもい」
俺を見る目つきが、浮浪者を見るような目から、ゴミを見るような目に格下げになった。しかし、嫌悪感たっぷりの目の色の中に、わずかに浮かぶ恐怖を、俺は見逃さなかった。沖田さんが怖がるなんて、相当だ。俺、そんな鬼気迫る顔してるのかな?ぺたりと自分の顔を触ってみたが、そこにはかさついた肌があるだけだった。それに比べて目の前の沖田さんときたら、つるつるすべすべの肌しちゃって。若いっていいね、羨ましい。
「お前もまだ若ェじゃん」
どうやら、声に出ていたらしい。動揺を隠し切れない俺を尻目に、沖田さんはずずっとお茶を啜る。子供なのに、沖田さんはジュースよりお茶が好きだ。そして、洋菓子よりも和菓子を好む。見かけによらず、沖田さんの嗜好は古風で、それが俺には心地よかった。顔がいいのに、ちゃらちゃら飾っていないところとか、すごく好感が持てる。やっぱり、日本男子はこうでなくては。
俺の生温い視線を避けるように、沖田さんが外方を向いてしまったので、慌てて口を開いた。
「そ、そうですね、俺もまだまだ若いですけど。でも、沖田さんよりは年食ってて、そのくせ沖田さんほど何にも成し遂げちゃいませんよ。沖田さんより長く生きてる数年間に、そんなに価値も重みもあるようには思えません。俺は沖田さんよりここが優れてるぞ、って自慢できることなんか、ほとんどないですし。じゃあ俺今まで何やってきたんだろ、って考えたら、何にも思い浮かばないし」
「何それ。言ってて情けなくなんねえの、お前」
沖田さんは、呆れ果てた顔と声で、そう言った。俺は口を尖らせる。
「情けないと思ってるから、どうにかしたいと思ってるんじゃないですか。これでも危機感持ってるんですよ、俺。このまま地味地味言われながら、うっすい人生送っていくのかなって考えたら、ぞっとしますし」
「それはそれでお前らしいけどな」
「そんな俺らしさはいらないです」
「個性って大事だと思うぜ」
「他人事だと思って」
「だって他人事だし」
ちょっと冷たすぎるんじゃないだろうか。俺の非難の眼差しなんか気にする素振りもなく、沖田さんは暢気にお茶を啜っている。右手で煎餅の入った盆を引き寄せ、一枚取り出し、齧る。欠片がぼろぼろ零れるのも気にしないその様子は、ワイルドというか、単に汚い。俺は結構、きれい好きなんだ。それを知っての、この所業。くそう、ドS王子め。
「沖田さんには、俺の気持ちなんか分かりません」
「分かったら怖ェだろ。俺エスパーかよ」
「沖田さん、悩みとかあるんですか」
「おま、失礼な。俺にだって悩みくらいあらァ」
「なんですか。聞いてあげますよ」
「いらね」
即答ですか、そうですか。悔しいから、沖田さんの強がりだと思っておこう。ほんとは悩みなんか無いんだろ、へへん。
「それにしても、お前がそこまで自虐的な奴だとは思わなかった」
「そうですか?俺はわりとこんな感じですよ」
「ミントンなんか熱心にやってるから、もっと爽やかな奴なのかと。地味だけど」
「まあ、ミントンだけは誰にも負けないって自負してますから。それだけが取り柄というか。だから、ミントンやってると落ち着くんですよね。自分にも何か強みがあるんだって、自覚できるんで。ちなみに、スポーツマンがみんな爽やかっていうのは、偏見ですよ、沖田さん」
「お前にも、それなりにいいとこはあると思うけどなあ」
なんと。
「沖田さん、正気ですか」
「正気正気」
「俺にもいいとこあるって」
「あるだろ、人並みには」
「た、たとえば」
「優しいとこ?」
なぜ疑問系?そして、なんかすっげえありふれた答え!誰にでも言えちゃう感じの!いやいやいや、これじゃあ自分に自信持てませんって。てか、なんでそんなどや顔してんの沖田さん。そんな答えで、人一人救ったぜみたいな顔せんでください。
「他には何かないですか」
「他ァ?」
うわ、一気に不満そうな顔。舌打ちまでされてしまった。それでも一応、他の俺のいいところを思案し始めた沖田さん。俺の顔をじいっと眺め回しながら、ぶつぶつ言っている。そんなに見つめられると、気まずいです。ちらっと逸らした視線の先、瓦屋根の塀の向こう、急にふわりと現れた、赤い球体。
「え」
「ん?」
俺の声につられて、沖田さんも外へ目をやった。謎の赤い球体は、ふわふわと空へ上っていく。そこから伸びるのは、同じく赤い、八本の足。
「ありゃ、たこ焼き屋で配ってる風船だな」
「たこ焼き屋?」
「宣伝も兼ねて、たこ焼き買ってくれた子供に配ってんでィ。ほら、たこの顔書いてある」
たしかに、赤い球体には二つのつぶらな黒い瞳と、愛らしいおちょぼ口が描かれていた。しかし、たこ焼き屋の風船が、なぜ空を飛んでいるのだ?そう思った矢先、塀の外で、子供の泣き声があがった。わんわんと、やかましいことこの上ない。沖田さんなんか、渋い顔で耳を塞いでいる。仕方なく、草履をつっかけて塀に駆け寄り、周りに誰もいないことを確認して、上半身を乗り上げる。がしゃんと派手な音が鳴り、その音に驚いてこちらを見上げた少年と、目が合った。
「こ、こんにちは」
怖がらせないように、にっこり微笑んで声をかけると、少年は呆気にとられた顔で、こんにちは、と小さく返した。しかしすぐに顔を歪めて、再び泣き出してしまう。
「わわ、な、泣かないで!あんま泣かれたら、俺の命が……」
「山崎ぃ!早くなんとかしろィ!」
「は、はい!ただいまっ!」
背後から飛んできた怒声に、振り返って答える。少年の泣き声はひどくなる一方で、空へ指を向けて、たこさんが、たこさんが、と繰り返しているので、そちらへ視線を向けると、なんたる幸運。風船は、屯所の大きな柿の木の枝に引っかかって、のんびり揺れていた。
「お兄ちゃんが取ってあげるからさあ、泣き止んでくれるかなあ!」
泣き声に負けじと声を張り上げると、少年はぐすぐすとしゃくりあげながら、小さく頷いた。よし、これでひとまず命拾いだ。
首を反らして、風船の位置を確認する。風船まで、五メートル以上はありそうだ。しかし、立派な柿の木は大きく枝を広げており、手がかり足がかりは多い。登るのはそう難しくないだろう。監察という役柄上、木登りには慣れているし。
大体のルートを確認し、手近にある太い枝を掴んで、体重を乗せてみる。びくともしない。よし、行ける。
両腕に力を込め、体を押し上げた。ざらついた木の感触と緑の匂いに、懐かしさを感じて、口元が緩む。体はびっくりするほど軽かった。次々に枝を掴み、登る。俺ってこんなに身軽だったっけ。前世、猿だったりして。ちらり、上を見やれば、うわ、空がこんなに近い。
風船の紐を掴んだ瞬間、下で歓声が上がった。ゆらゆらと風船を掴んだ手を振ってやると、少年は手を叩いて喜んだ。いつの間にか塀の上で胡坐をかいている沖田さんも、おー、と気の抜けた声をあげながら、ぱちぱち手を叩いている。そのやる気の無い様子に、思わず苦笑が漏れた。もうちょいやる気出してくださいよ。少年の顔を見てごらんなさいな。まるでヒーローを見るような目で見てきてますよ。お腹のあたりがこそばゆくなるくらい、熱い視線を向けられて、目のやり場に困るほど。
「兄ちゃん、すげえ!かっけー!」
「えー、そうでもねえだろ」
ちょ、何言ってんの沖田さん。そこは「そうだね」でいいじゃん。俺自分に自信無いんすよー、ってさっきあんたに相談したばっかだろーが。哀れな部下に自信持たせてやろうとか考えないのか。
「俺の方がかっけーだろ。顔とか」
顔は今関係無くね?
「んー、兄ちゃんも役者みたいでかっけーけど、人間は外見よりも中身が大事なんだよって母ちゃんが言ってた」
そうそうそのとおり。ほんとに大事なのは、見た目じゃなくて、中身なんだよ。
沖田さんは、えー、とか言いながらぶすくれている。俺を見る恨めしげな目は、気にしないことにして。思いっきり首を反らすと、生い茂る緑の間からのぞく空が、びっくりするほど青くて。ちょっと、感動した。
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