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空は息を呑むほどに青かった。


鳴き始めた蝉が夏の訪れを告げ、町全体が浮足立っている、そんな初夏の日に、退屈そうな顔で道を行く青年が一人。


店の前で威勢よく声を張り上げている店員に声をかけられても生返事を返し、時折背後を気にしながら歩いて行く。


「今日は暑ぃねェ、ゆうちゃん」


道行く者は、青年のこの呟きを聞いて首を傾げた。


だって彼は、一人だったのだから。


そんな周りの反応に、青年の口角が吊り上がる。面白がっているような笑みで青年が見上げた先には、温い風にはためく銀印の旗。


「面白ぇことになったなぁ」


たまらない、というように呟いた青年の足は、真っ直ぐに万事屋へと向かっていた。

















「だーんなぁー」


間延びした声に続いて、がらがらっと引き戸を引く音。


「新八、出て」


「…はい」


面倒事を押し付けてきた上司に鋭い視線を飛ばしてから、新八は仕方なく玄関に向かった。この声の主は、あの人だ。


「いらっしゃい沖田さん」


にっこりと笑みを浮かべて挨拶すると、沖田は上がり框に腰かけて靴を脱いでいる最中だった。開けっ放しの引き戸から射しこむ夏の日差しが、彼の栗色の髪を黄金色に輝かせている。


「邪魔するぜ」


きちんと靴を揃えてから堂々と上がりこんできた沖田に若干圧倒されつつ、新八は脇に避けて道を空けた。しかし沖田はふと立ち止まると、くるりと振り返って「ゆうちゃんも入りなせぇ」と外に向かってのんびりした声をかけた。


はて、と新八は首を傾げる。


沖田に、ゆうちゃんなんていう友達がいただろうか?


そこまで沖田と親しいわけでは無いが、彼が人付き合いが得手ではない(というか、周りに興味が無い、と言った方がいいかもしれない)ことは知っているし、そこそこ長い間付き合いを続けているけれど、彼が屯所の仲間以外と連れ立って歩いているのは見たことがない。そんなことを考えながら、外に広がる青空を見つめていたが、一向にゆうちゃんとやらが入って来る気配は無い。


というか、と新八は思う。


『ゆうちゃん』って、どこにいるんだ?


沖田は引き戸の方を見ているけれど、そこには人なんか立っていないし、沖田は声を張り上げて『ゆうちゃん』を呼んだわけではないから、そう遠くにいるわけでも無さそうだ。


「沖田さん、ゆうちゃんって…」


新八が首を傾げたままそう言うと、沖田はああ、と何かを思い出したような顔をして、引き戸へ視線を戻した。


「ゆうちゃん、もういいですぜ」


もういい?


新八も引き戸へ視線を移す。そして、次の瞬間、零れ落ちてしまいそうな程に目を見開いて、ぽかんと口を開けた。


新八の目の前で、すうっと浮かび上がるようにして、一人の青年が姿を現した。


縹色の着物をさらりと着こなした、長身の若者。年の頃は20代前半くらいだろうか。その肌は透き通るように…というか、実際青年の身体を透かして後ろの青空が見えている。青空だけじゃなく、電柱も、木々も、普通なら青年の身体で遮られるはずの景色が、青年の身体の向こうにぼんやりと透けて見えるのだ。


新八の呆け顔を見て、青年は困ったような、とりあえず笑っとけというような表情でかりかりとうなじを掻いた。その曖昧な笑みが、青年の頼りなさげな風貌に妙に似合っていて、よく見るとなかなかの優男である。しかし、青年の身体は透けている。明らかに透き通っている。ということは、彼はこの世のものではないのだ。そう、たとえば幽霊のような類とか。


ぽかんとしたままの新八を見て、青年と沖田はぎこちなく笑い合った。


「相当驚かせちまったみてえだねィ」


ほら、しっかりしなせェ、と励ますように新八の背中をぱしんと叩いて、沖田は居間へ入って行った。その後へ、青年が続く。青年が脇を通り過ぎようとしたとき、彼から発せられる冷気で、新八ははっと我に返った。ものすごい勢いでこちらを向いた新八に、青年はちょっとびっくりしたように身を引いたが、すぐに表情を和らげて、ひょいとその長身を折り曲げると、「驚かせてごめんね」と申し訳無さそうな顔で謝罪して、すうっと居間へ消えて行った。


彼の肌から発せられる冷気と冷たい息に、新八は初夏であるにもかかわらずぶるりと震えた。


しかし、青年を怖いとは思わなかった。


何か得体の知れないものであることは違いないだろうけど、彼は悪いものではないと、確信のようなものがあった。あの物腰の柔らかさや、耳に心地よく響く優しい声からは、温かい人であるという印象しか受けなかったから。


瞼の裏に焼き付いた青年の顔が薄れていく頃、ようやくすっきりした頭で一つ頷いてから、新八は震える足を励まして居間へ踏み込んだ。


室内は、青年の身体にまとわりついている冷気のおかげでひんやりと涼しかった。まずは銀時の姿を確認する。幽霊嫌いの銀時のことだから、部屋の隅っこに蹲ってがたがた震えているんじゃないだろうかと思ったのだ。ぐるりと室内を見渡す。案の定、銀時は部屋の隅っこに蹲って、真っ青な顔でこちらを見ていた。いや、新八ではなくて、新八の目の前に立っている青年を見ているのだろうが、新八には青年の身体を透かして、銀時の怯え顔がよく見える。


対して、神楽はなかなか肝が据わっているようで、驚いた顔をしているものの、ソファの上にちんまりと座ったまま、逃げだす様子は無い。ただでさえ大きな青い瞳を見開いて、青年の顔を見つめながらぽりぽりと酢昆布をかじっている。


「誰アルか、そいつ」


「だ、誰、じゃなくて、何、だろ…」


部屋の隅っこに蹲ったまま、銀時が絞り出すような声で言った。青年が一歩でも近づけば、悲鳴を上げて失神してしまいそうだ。新八は、その情けない姿に苦笑した。幽霊嫌いの銀時だから、しょうがないとは思うけれど、これはあまりにもひどすぎやしないか。見ていて悲しくなってくる。


「まあまあ旦那、そんな隅っこで引きこもりごっこなんかしてないで、こっち来なせェ。ゆうちゃんは悪い奴じゃありやせんよ」


沖田が楽しそうににこにこしながらそう言うと、銀時は一層壁に背中を押しつけて、疑いの眼差しで青年を見た。青年は、あまりにも銀時が怖がるもんだから恐縮してしまったのだろう、居心地悪そうに首を縮めている。その様子を見て少し警戒を解いた銀時は、そろそろと立ち上がった。そして、視線は青年の上から動かさないまま、もどかしいほど慎重にソファの横まで歩いてくると、猫のように素早く飛び乗って身構えた。一歩でも近づこうものならぶん殴ってやる、という気迫がびしびし伝わってくるが、少し腰が引けているのと、殴っても霊体である青年には当たらないのとで、若干空回り気味である。


とりあえずみんなを座らせ、新八が茶を運んできたときも、銀時は青年をじっと睨み据えたまま構えていた。青年はすっかり小さくなって視線を泳がせている。見かねた新八が「銀さん」と諌めるような口調で言っても構えを解かないもんだから、腹を立てた新八は、銀時の湯呑を机の端っこの端っこに乱暴に置いた。少し中身が零れたが知ったこっちゃない。


ぷいっとそっぽを向いた新八は、青年のぎょろりとした瞳と目が合ってどきりとした。ぱっちりとした、というよりかは、言い方が悪いかもしれないけれど、どこか爬虫類じみた、やけにきらきら光る瞳である。その大きな瞳のせいでかなり幼く見えるけれど、声の低さや雰囲気は大人そのもので、なんだか妙な感じがした。


「えっと…」


じろじろと顔を眺められて、その視線に耐えかねた青年が困惑した声を上げると、新八ははっと我に返ってあたふたした。


「あ、えと、すいません、じろじろ見て!ぼ、僕、志村新八っていいます」


突然の自己紹介に一瞬驚いたような顔をしたが、青年はすぐに表情を緩めて「私は優乃介です」と律儀に頭を下げた。新八も慌てて頭を下げる。そして顔を上げてから、「優乃介さん」と確かめるように優乃介の顔を見上げながら呟いた。はい、と優乃介が微笑む。その微笑みを見て、新八はまるで春の陽射しのようだなあ、と思った。胸の奥がじんわりと温かくなって、肩の力が抜けてしまう。生者のそれのように温かみを感じるから、一瞬彼が霊であることを忘れそうになる。しかし優乃介の身体はたしかに透き通っていて、その身は熱を持たないのだ。新八はちょっと寂しいような気持ちになって、自分の膝に視線を落とした。


「沖田さん」


顔を上げて新八が呼びかけると、ふうふうと吹いて茶を冷ましていた沖田は視線を上げて、ぴくりと眉を動かした。


「何でィ」


「えっと、とりあえず、事情を話していただきたいんですけど…」


優乃介は悪いものでは無いということは十分分かった。しかし、銀時はいまだに身構えたままだし、沖田が何故万事屋に優乃介を連れてやって来たのか、その理由を知りたい。それを話してもらわないことには、銀時は一生構えを解かないだろうし、何より気持ちがすっきりしない。新八の真っ直ぐな視線を浴びながら、沖田はふうっと長い息を吐いた。


「事情ねェ…」


沖田は手の中で湯呑を弄びながら、さてどこから話したもんか、としばらく虚空を睨みつけて考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。
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