保健室の死神

□知りすぎた僕ら
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なあ、アシタバ。と藤くんが言う。
なあに、藤くん。と、僕が返す。

当たり前になったこのやり取りは、少し前までは考えられなかった状況だ。
僕はまさか、こんな人気者の藤くんと関わりあうことも無いだろうと思っていたし、実際“あのこと”が無ければ、今だって僕はまったく藤くんの人生に関わらない生活を送っていただろう。もちろんあのこととは、顔の怖い保健室の主に会いに行く、生徒一号になりかけたアレの事だ。
だから僕達が知り合えたのは、あの時は悪夢に思っていたあの状況を作り出した、美作くんと先生のおかげかもしれない。
そう思うと不思議だ。


「僕と藤くん、全然違うのにね」
全然話したこともなかったし、と呟きながら藤くんを見る。
「まあ、俺はお前のこと知ってはいたけど」
さらりと言われた事に、僕は結構驚いた。まさか藤くんが話す前から僕を知っていたとは思わなくて。
だって、前はクラスも違ったのだ。
僕は藤くんの事を知っていたけど、それは藤くんがあまりに有名すぎるからだ。それにひきかえ僕は美作くん曰く地味メンで、その名に相応しく学年内で話題に上ったことなどただの一度もない。
僕を知る得る機会など、このイケメンにあったのだろうか。そしてあったにしても、めんどくさがりの彼がよくも目立たない僕を覚えていたものだと思うのは、当然じゃないだろうか。
びっくりする要素は多分にある。

「藤くん、なんで僕のことなんか知ってたの?」
少しの自嘲を込めながら尋ねると、藤くんの目は僕の目を一度通り過ぎ、僅かの間考えるような仕草を見せた。
「なんでって、」とそこで藤くんは一度言葉を切る。
どうしたのだろうか、と不安になった。
何故知っていたかと聞いただけなのに、あからさまに困った顔をされているのだ。言いにくい事に違いはない。
言いにくいということは、もしや悪い噂で聞きでもしたのだろうか、と考えが及ぶ。
そんな、僕は目立つことはしてきていないはずなのに。悪い話題だけは裏で流れていたのかな?
ちょっと悲しくなってきた。いや、まだ僕が勝手に予想しているだけなんだけど。
それでも黙りこくられると、不安が加速していくではないか。なにか早く言ってくれないかな、と藤くんの顔を見つめていると、眉間に皺を寄せたまま、藤くんはやっと僕の顔を正面から見返してくれた。
その口が何か言いたげに一度音声なしでぱくぱくと動いたから、先ほどの言葉の続きだろうかと、我慢強く耳を澄ませた。
「目が、合ったことあるんだよ」
「……へ?」
きょとん。としたまま藤くんの言葉を整理しようと頭を働かす。
全然言いにくいような事じゃないよね、と思いながら言われた事を頭のなかで色んな角度から考えてみた。
が、「目が、合ったことがあるんだよ」は、どうしてもそのまま『目が合ったことがある』にしか受け取れない。考えるほどに深い意味があるとは思えない。
そんな些細な事で、僕はこの人の記憶に残れたというのか。
目があったくらいで、ひとはその相手を記憶に残そうとするだろうか。

それにしても、目があった事なんか、あったっけ。僕でさえ覚えていない。
「え、それいつ?」
「入学式」
気まずそうな顔をしている藤くんを見つめながら、初めてこの学校に通ったあの日を思い出す。
が、
「……ごめん。思い出せない」
なんだかすごく申し訳ない。だって、きっとこの学校一の知名度を誇るであろう彼が、僕を覚えていてくれたきっかけ。それを、だだの地味な僕が覚えていないのだ。
恐縮極まるだろう、それは……。
「ご、ごめんね」
「別に。アシタバが謝ることねーよ」
そんなこと言ったって。
申し訳なくて顔をそむけたい衝動にかられる。けれどそれも失礼な気がして。
うう、目をそらすことも出来ない……。
「あれでアシタバが覚えてるはずないってのは知ってたから。普通、覚えてない。気にするな」
そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、僕は更に身の縮む思いがするよ。
そんな僕の考えが分かったのか、もう一度藤くんが口を開いた。
「ほんと、気にしなくていーから。俺なんか同じクラスでも一度や二度話した位の奴の事なんか全然忘れてるし」
それはそれで酷いんじゃないかという気もするが、今の僕にそこにつっこむ余裕はなかった。
「ほ、ほんと?」
と、言ってから、はたと気づいた。
「あれ?じゃあ、やっぱりなんで藤くん覚えてたの?僕のこと」
「っ、!」
ほんの少しだけ。赤みを帯びた藤くんの頬。
それから君の唇が、僕の名前の形をとった。
「アシタバ、」
長い指先が、僕の指に僅かに重なる。
流れた時間は、数秒か数分か。君の目線と指先にくらくらして、どうにも感覚が狂っている。
「ホントはずっと、お前を見てた」
「……っ」
そのときの、触れた指先の熱で分かったことが、あまりに多すぎて。


僕には俯くしか手段は残されていなかった。
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