めんどうくさいけど

□「しあわせ」について
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「ねぇ、ちょっと前髪伸びたんじゃない?」

 帰ってきて、手を洗って。さて着替えるかと思い額宛てを外すと、不意に紅が言った。



 女ってのは、何に対しても敏感だ。それはオレの前髪が伸びたとか、煙草を替えたとか。そういうことに目聡いということじゃない。

 身の回りのもの全てに目が行き届いている気がする。本人にそういう自覚はないだろう。女の全員が全員そうでもないだろう。


 だが紅を見ていると、そう思わずにはいられない。




「そうか?」
「そうよ。ほら目にかかってる」

 言うと、オレの額を撫でるようにして髪を後ろに流す。しかし、そうするには少し長さが足りず、また目に髪が刺さってきた。


「切ったほうがいいわね」
「めんどくせぇ」
「ちょっと待ってて」






 持ってきたのはハサミと新聞紙。

「まさか、お前が切るのか……」
「大丈夫。アスマは男だから」


 それは、男だから変になっても……まぁ平気だろう、ということなのか?




 サクサク。

「適当に終わらしてくれよ」
「はいはい」


 サクサク。


「なぁ、紅」
「何よ」
「……幸せか?」





 「しあわせ」は、こんな午後には不似合いな言葉のように思えた。“平凡が一番”というけれど、それは幸せかどうかとは、また別のことのような気がする。だから、何故いま自分がこんなことをこんな時に聞いているのかが分からなかった。



「なに急に……」
「やっ……すまん、オレにもよく分からん」


 自分で言って、恥ずかしくなった。



「アスマ」
「ん?」
「アスマは幸せ?」
「えっと……」
「私は、とっても幸せ」




 オレは、よかった、なんて適当なことを言った。「しあわせ」については何も言わなかった。


 サクサク……サク!



「はい、終わり」
「ありがとな。おぅ結構短くなったなぁ」


 髪を梳くと指に毛の屑がくっついた。
 紅は何も聞かず、オレの頭をわしゃわしゃと指先で払う。


 周りに細かい毛が飛び散った。






「アスマ、ご飯」
「わかった、すぐ行く」





 クチャクチャ。



「口しめて食べて」
「ん」


 ムシャムシャ。 



「紅、さっきの」
「幸せかどうか、でしょ?」
「うん……」



 ムシャムシャ。


「私は幸せだから。アスマと」

 この子がいるから、と言って下を見る。



 ムシャムシャ。

 オレと紅の子供。




「オレもお前とその子がいて幸せ、だな」
「そう」
「おいおい流すなよ」
「だって、わたしたち同じ気持ちでしょ?」



 同じだから、取り合う必要もないでしょ?








 そうだったな。いつだって同じ気持ちだよな。







 オレと紅と子供。

 ……紅、いまも、しあわせか?










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